【 論 考 集 】


2023・7・20 長谷川勝彦

■「言」と「文」の「一致」をめぐって■

 文章を書く人もおおくは「話すように書く」を追い求めているようです。明治以来、日本の文学者と言われる人は、おおむねそのことに苦心してきました。「言文一致運動」といった、なんだか社会運動のような言い方を耳にした人も少なくはないでしょう。

 言と文があまりに遊離しているので、もっと近づけようとした文学者たちの活動ですね。書いた文が、あまりに人の話している言葉と離れてしまっている現状をなんとかしなくてはという、日本語をめぐる明治時代の文学的ムーブメント(書き言葉の改革)だったのです。

 この稿は「です、ますの文体」でいつもと違いますがこの方が「話す」に近いので、ということもありますが、かなり以前に書きためていたものに手を入れたので、その名残でこうなりました。アナウンサーをしていた頃からずっと心に引っかかっていた問題、「言文一致」について考えてみようとしたのです。

~「言」と「文」の「一致」をめぐって~

 文学研究者の知恵を借りて稿を進めることにします。参考にするのは前田愛「近代読者の成立」という著作。「音読から黙読へー近代読者の成立」という論文の冒頭にこうあります。 

「現代では小説は他人を交えずひとりで黙読するものと考えられているが、たまたま高齢の老人が一種異様な節回しで新聞を音読する光景に接したりすると、この黙読による読書の習慣が一般化したしたのは、ごく近年、それも二世代か三世代の間に過ぎないのではないかと思われてくる」

 そしてこう続ける。

「こころみに日記や回想録の類に明治時代の読者の姿をさぐってみるならば、私たちの想像する以上に音読による享受方式への愛着が根づよく生き残っていたことに驚かされるのである」

 「朗読者」を自認する私にとって、現代に「音読による享受方式への愛着」が残っていてくれたらよかったのにと思うくらい、今となっては小説の朗読による享受愛好者は世に少ないと不平を言いたくなります。
 それはともかく、こうした「享受方式への愛着」を生み出すのにどんな事情があったのでしょうか。

 「文章のリズムを味到する感受性、文章を朗唱し耳から聞くことによるよろこびを見出す能力の有無は、漢籍素読の体験の有無とかかわっている」

 ここにいう「文章のリズムを味わう」と「文章を聞くよろこび」、これこそ、朗読が志向することそのものでしょう。それは「漢籍素読の体験の有無とかかわっている」と前田愛はいうのです。

 どういうことでしょうか。彼によると、明治の初め、

「士族や地方豪族の子弟は、早いものは五才、おそくも十歳前後までに漢籍の素読を始めた」

といいます。
 漢籍の素読とはどういうものかというと、漢文を日本流に読み下したテキストをひたすら声を挙げて読むという行動ですが、それは、

「ことばのひびきとリズムとを反復復唱する操作を通じて、日常のことばとは次元を異にする精神のことばー漢語の形式を幼い魂に刻印する学習過程」

であった。そして、その行為を通して、

「意味の理解は達せられなくとも文章のひびきとリズムの型はほとんど生理と化して体得される」

のであって、やや長じてから、

「講読や輪読によって供給される知識が形式を充足する」

そうした読書体験の形式であったというのです。

 いま私たちはそんなことをしませんが、明治の頃には小さい頃から「漢文素読」ということをしたそうです。意味も何もわからずに朗唱をしていたのです。「読書百遍、意自ずから通ず」といわれました。
 さらには、このようにして、

「青年たちは、ほぼ等質の文章感覚と思考形式とを培養され」
「同じ知的エリートに属するもの同士の連帯感情を通いあわせる」

ことが可能となったのだ、と前田愛は論じているのです。

 前田は、明治の青年たちの読書をめぐる事情を、このように見事に解き明かしてくれたのです。
 彼らの「文章感覚と思考形式」とは「日常のことばとは次元を異にする精神のことばー漢語の形式を幼い魂に刻印する学習」によって形成された、というのです。
 ここにいう「日常のことばとは次元を異にする精神のことばー漢語の形式」とは、すでにこの「論考」で触れた柳父章のいう「書きことばの日本語は、伝統的な、言わば正当な日本語である話しことばの日本語とは別の、もう一つの言語ともいうべき性格を持っている」という主張と同じことを述べていると私には思えます。
 前田愛のいう「漢語の形式」の形式とは日本語に姿を変えた「読みくだされた漢文」のことであり、それは「日常のことばとは次元を異にする精神のことば」すなわち「書きことば」に異ならないというのです。

 このような事情のもとでは、「文を言に近づける」ことなどとても難しかったことでしょう。
 それを表すエピソードがあるので紹介しますと、前田愛によれば、言文一致体以前の段階の作品、「雅俗折衷体」で書かれた、
明治22年の尾崎紅葉の出世作「二人比丘尼色懺悔」について、寄せられた投書にこんなのがあったそうです。

「因より小説は謡(うたい)にもあらず、浄瑠璃にもあらねど、さらばとて、かかるきれきれの句のみにては、誦読の際、読者に快感を与ふること少なかるべし」

 この文からは、当時の読書人が、「読んで快感の得られることを文章に求めていた」ことが想像されます。
 ここには「音読による享受方法と不可分に結びついた文章感覚」がみられると同時に「文章の形式美のみを切り離して心ゆくまで翫味しようとする鑑賞の姿勢」があると、前田愛は分析しています。
 さらに前田はこのように分析します。

「このような姿勢は文章の向こう側にある観念と形象の動きを迅速的確に補足する読解作業へと導くものではない。そしてまたこの種の文章感覚に対して適性を発揮する文章は、単純透明な表現を志向する散文ではなく、たぶんに韻文的装飾を凝らした美文でなければなるまい」

 ずいぶん難しい言い方をしていますが、理解しておくべきはこういうことでしょう。
 前田愛のいう「文章の向こう側にある観念と形象の動きを迅速的確に捕捉する読解作業」というのは、まさにわれわれが目指している「朗読」のありようを述べているように私には思えます。
 「文章の向こう側にある観念と形象の動き」を迅速的確に「捕捉する」ことができなければ、朗読はできません。つまり何が書いてあるのかわからなければ、朗読にならないのです。何が書いてあるか読解する作業が根本ですが、そこへ導くものではなかった、と言うのです。
 もう一点理解しておくべきことがあります。
 美文といわれる文章がある一方で、「散文」といわれる文章がある。それは「単純透明な表現を目指して」いる。「文章の向こう側にある観念と形象の動きを迅速的確に捕捉する読解作業」へ導く文章、それは「散文」と呼ばれる。
 そして近代日本の文章の歴史は、美文から散文への道をたどったという。
 朗読を志向するものは、このことを認識しておくべきなのです。
 (ここにいう「散文」は「美文の対義語」としての意味合いであって「詩の対義語」としての意味では使われていない)

 そうはいうものの、文章にとって「単純透明な表現を志向する」のみでよいのかという感覚は、日本人のなかに根強く残ったと思われるのですが、どうでしょう。我々のなかに、文章に詩的なもの、美的感覚を求める傾向がないだろうか。「文章の形式美のみを切り離して心ゆくまで翫味しようとする鑑賞の姿勢」は根強く残っているのではないかとも思われます。
 言文一致を唱える人は、この点をどう思っていたのでしょうか。その代表者のひとりである山田美妙は、こう考えていました。 

「従来わが国では、書物の『読方』(よみかた)と『通常の談話態(はなしぶり)』とが別途に考えられられていた。だが、それは誤りで、ただすべきだ。 
 自分の言文一致体で書かれた小説は『通常の談話態(はなしぶり)』にしたがって読んでほしい」。

 前田愛によれば山田美妙は以上のように述べていたと言う。
 ここに山田美妙のいう「通常の談話態(はなしぶり)」ですが、まさに「話しことば」のことではないのでしょうか。してみれば山田美妙は「話すように読め」といった最初の人物であるかとも思われるのですが。

 そうしてさらに山田はこう主張する。

 「古文の優美な音調を盾にとって俗文の卑しさを責める非言文一致論者の非難は謬(あやま)っているのである」

と。
 言文一致に反対するものは、古文は優美であるにひきかえ、現代文はなんと卑しいことよと言って非難するが、それは間違いだというのです。
 さらに山田美妙はいいます。

 それは「音調を主眼」とする詩歌を基準として文章を考えているからである。文章は「音調を主眼としない」ものなのであって、「俗文は口で言う儘に書きなしてあるもの」だから「日常の会話のように読むのが当然」であるとしたのである。

 「文章は音調を主眼としないもの」という主張は、斬新な意見だったのですが、ただここで付け加えるならば、美妙のいう「読む」は「吟ずる」と対立する概念ではあっても、黙読を意味していなかったと前田は言っています。
 つまり「読む」といっても、それは、「声に出して読む」(いわゆる音読)を念頭に置いていたのです。そうです。当時の人たちにとって本を読むとは声を出して読むことが普通だったのです。
 それでは、われわれが言うところの「話すように読め」とは、意味するところが微妙に違うようですね。やはり美妙が「話すように読め」と最初に主張した人物だったとは言えないようです。
 
 こうして見てきたことからいうと、言文一致を推し進めた明治の文学者である山田美妙は「たぶんに韻文的装飾を凝らした文章」に未練を残しているように思われるのです。ここで「ジヤアナリスト兼詩人たる今日の僕」と述べた芥川龍之介が思い浮かびます。どんな文章を書きたかったのだろうかと。

 それはともかく、前田愛によれば、かの森鷗外はこう言っているそうです。

 「散文は読ませむためにて唯、目と口に待つのみ」

 「鴎外は散文が原則的には黙読によって享受されるべきであるという理解に達していた」と前田愛は言うのです。そこに西洋文学、西洋の文章に親しんだ鴎外の、時代を抜きんでた先進性を見たというのかもしれません。
 (同じく西洋文学に親しんだ漱石のことにして、「虞美人草」はともかく、そのあとの「坑夫」という作品からは「韻文的装飾を凝らした文章」を脱出したかに見える。「草枕」にまだその残滓が伺えるけれど)

 大雑把に言って、このようにして近代日本の文章、散文が確立していくのですが、文章に「美」とか「詩」という要素が必要であるのかないのか、という問題はその後日本の文学の世界に長く残ったといってよいと思われます。

 そんな大問題はさておき、「散文」は原則的には「黙読」されると承知したうえで、さて我々それを「朗読」する者は「声に出して読む」という難問にぶち当たったのです。
 言文一致をいうなら、書かれた文章を朗読する人間は、文の連続として出来上がったそれを、あたかも「話しているように」声にする、それを理想とするということになります。
 ところがたとえ「話すように書いたもの」であっても、それをそのまま「話すように声で表現する」というのは、口でいうほどには簡単ではないことに、朗読をしようとする人間は気づかざるを得ないのです。

 この「論考」の前回に、「文章はしやべるやうに書け」といった佐藤春夫の文章の「書きよう」を点検するということをした。
 ここでこんなことに気がついた。
 確か芥川龍之介は、師である夏目漱石が「書くようにしゃべる」というのを聞いたというようなことを書いているが、その「しゃべりよう」は録音されていないだろうから点検しようもない。それができたら、ここで展開している議論も、もう一歩前進できるのにと思う。
 
 「しゃべる」「書く」この二つそれぞれに「しゃべりよう」「書きよう」があるにちがいない。「しゃべるように書く」という。「ように」とある以上、「しゃべる」と「書く」それぞれは別個のものであり、「書きよう」と「しゃべりよう」はそれぞれ別個のものとしてあるのだろう。むしろしっかり区別されるべきものかも知れない。「ことば」を対象にする点だけが共通なのだが。

 理屈で言えばこういうことではないか。
「・・・のように」とはいかにも曖昧な用語であって、どうすれば「・・・のように」なるのか、この言葉だけでは皆目分からない。したがって、「どのように」したら、「書いたようにしゃべる」ことができるかを追求するしかない。

 その際大事なことは、「書く」「しゃべる」それぞれの行為はしっかり区別して捉える、その違いこそ強く意識すべきで、アナウンサーの行ってきた「話すように読む」というアドバイスはこのことを曖昧にしてきたのではないだろうか。
 議論は振り出しに戻ったようであるが、「どのようにしたらそれができるか」という追求こそ、この論考が目指しているところなのだ。

2023・7・20 長谷川勝彦