【 論 考 集 】


2022・9・20 長谷川勝彦

■ 川端康成「伊豆の踊子」の冒頭部分を読む ■

 長谷川勝彦ライブラリーに設けられた「論考集」は、私の朗読に関わる論考を、ここに順次ご披露して行こうというものです。

 朗読することに楽しみを見いだしたり、朗読を聴くことを好んだりする方々、つまり広く朗読を愛好する人々に向けて、この20年ほど朗読者として活動してきた私が、朗読に対しどのように向かいあっているのか、どんな工夫をしてテキストに向き合うのかなど、ときに実践的に、ときには理論的に明らかにしていきたいというのが願いです。

 順次この「論考集」にさまざまな文章を披露していく考えです。読み物として楽しめるかどうか、私としては、表現する者はこんなことを考えているのだと、朗読するなり聞くなりの参考にして、読んでいただければ幸せに思います。

  

 この有名な作品の書き出しはこんな一文だ。

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた」

 朗読するつもりで下読みするときには、ここは「実況」なのか「説明」なのかと区分することにしている。この文は「実況」だ。
 「場面の実況の語り」といっているが、物語の「うち」で語る。臨場感つまり語り手はその場にいる、その場に流れている時間の中にいるつもりで「語る」のだ。語り手は「私」。
 「、」の間はこのように、

「道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思う頃//雨脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さで麓から私を追ってきた」 

」はほとんど休止はない、「//」で息をする(吸う)。「、」が一文に二つ以上になると、間の長短が生じる、おなじ間で読むことはめったにない。
 この文はこうした二文を読むのとそう変わらないものと考えてみよう。
 

 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思った、その時だった。


 雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。

 この二文なら間に一定の「間」があると誰でも思う、息もできるだろうが、一文で書いてあると「間」がきちんととれないことが多いのだ。

 このあと、すぐ「説明」に変わる。
「説明の語り」といっているが、これまでの事態(峠を目ざして歩いているという)の経緯の説明、報告がなされる。物語の「そと」から語り手が読者に向かって語るので、語りようが「実況」とは違う。説明の要点は「わかるように、納得できるように」であるが実況の要点は「写すように、見えるように、感じられるように」である。

「私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった」

 活字ではここに切れ目はないが(改行はない)、ここまでは「説明」だ。時間が流れていない。旅の四日間の簡単な要約が語られる。
 二度でてくる「・・・のだった」という文末が「説明」であることの証となる。ただ単に「登って来た」「急いでいる」との違い。それに「・・・のだった」を付け加えて、これまでの自分の行動を振り返って他者(この場合は読者)に説明しているのを明示している。
 ここから「実況」に戻る。

「そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、私はその入り口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ」

 ここで改行されているが、さらに実況が続く。「そのうち」とか「ようやく」とか時の進行にかかわる言葉が、この部分が実況であることを知らせる。
 「始めた」は助動詞「た」。「登った」「しまった」「休んでいた」の「た」も同じ。過去とか完了とか実現とか確認とかを表すとされる。辞書は意味を説明する。この際検討が必要なのはその働きだ。過去を意味するなどと単純にとらえてはいけない。

 この際こう言っておきたい。

 小説において「た」は、場面の実況の語りで、進行中の事態、事象の現在ただ今を表すのに使われる。
 野球中継のラジオ放送の「投げました」「打ちました」と同じだ。
 だいたい小説というものは言葉だけですべてを表現しようとするもの、そしてとりわけ「目に見えるが如く」表現しようとするものだ。
 そのための工夫が様々あるが「実況の語り」がその重要な手段の一つだ。説明だけでは到底舞台で演じられる演劇、芝居に太刀打ちできない。「目に見えるが如く」表現されているから、読者は面白く読み進めてくれるのである。説明だけでは「あらすじ」を読んだり聞いたりするのと変わらないではないか。
「目に見える如くに」とは「その場に立ち会わせた如くに」ということだ。「場面の実況の語り」がそれを表現するのである。

 改行後、場面性がより強まる。読者はあたかも芝居あるいは映画を見ているようになる。「私」以外が登場して来たからである。

「突っ立っている私を見た踊り子が直ぐに自分の座布団を外して、裏返しに傍へ置いた。「ええ・・・」とだけ言って、私はその上に腰を下ろした。坂道を走った息切れと驚きとで、「ありがとう」という言葉が喉にひっかかって出なかったのだ」

 終わりの一文は「のだ」で終わっており、辞書には「原因、理由、根拠などの説明を強く述べる」とある。説明、理由を強く述べるわけだが、場面の「うち」で「私」の心中に写されていると捉えよう。「物語のそと」から述べているのではないのだ。これは語りように関わる。ここは実況の構えを崩してはいけない。

「踊り子と間近に向かい合ったので、私はあわてて袂から煙草を取り出した。踊子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やっぱり私は黙っていた」

 ここは文庫本でページが別になるが、そして改行もしているが、シーンは続く。目に見える動作で示せば僅かのことだが、動作を示す言葉だけで書けばこういうことになる。

「・・・ので、・・・出した。」「寄せて・・・くれた。」「いた。」という具合に実況の「た」が続く。

 次もやはり実況だが、あることに気がつく。いままでのところは語り手が「私」を眺めて言うという視点があったのだが、「私」の視点で実況されている。ここは重要なポイント。この「私」の視点で実況されている事を、実際にそのように声で表現するのは極めて難しい、と言っておこう。「説明の語り」の声とは違うということなのだが。

「踊子は十七ぐらいに見えた。私には分からない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵型の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の絵姿のような感じだった。踊子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡温泉の宿屋の印半纏を着た二十五、六の男がいた」

 語り手が物語の外からする「説明の語り」と読めないこともないが、「踊子は十七ぐらいに見えた」とあって、見ている「私」の視点で写されている、つまり実況されるとわかる。外からの説明の語りなら「踊子は十七ぐらい」でいいのだ。
 「見えた」「結っていた」「調和していた」「男がいた」の「た」。それに「感じだった」は「感じであった」「感じであるのであった」に同じ。今そう感じているということ。

 もう一点。読む上で多少の注意がいるかもしれない。
 意味のまとまりをまとまりとして表現することが大事なのだ。それを示すように書いてみると。

「(私には分からない古風の不思議な形に)(大きく髪を結っていた)。それが(卵型の凛々しい顔を非常に小さく見せながら)も、(美しく調和していた)。(髪を豊かに誇張して描いた)(稗史的な娘の絵姿のような)感じだった。

 ( )の中は、一つの映像あるいは一つの概念を表す。

 このあと8行は「説明の語り」があって、冒頭の「段落」が終わる。そしてこの段落は6つの「小節」からなる、というのがこの文の書き手の考えだ。
「小節」ごとに示せば、「実況」「説明」「実況」「『実況』『実況』」そして「説明」という具合である。


 「伊豆の踊子」という作品は(一)から(七)までに分かれる(その一つ一つをどう呼ぶか決定されていないことがここでもわかる)が、一つがいくつかの段落で構成され、その段落もいくつかの「小節」からなっているのである。その小節がそれぞれ「説明」か「実況」か判断していく、それが筆者の朗読の準備、下読みの方法なのである。

2022・9・20 長谷川勝彦